沼津市章

戸田造船郷土資料博物館

戸田造船郷土資料博物館 日本近代造船発祥の地 戸田 安政2(1855)年にロシア人と戸田の船大工の協力によって建造されたヘダ号は、
日本で初めての本格的な洋式帆船でした。
館内にはヘダ号設計図や大工道具が展示され、
建造のきっかけとなったロシアの軍艦ディアナ号の津波による被災から沈没、
さらにヘダ号建造にいたるまでの経過が紹介されています。 ■開館時間:09:00〜17:00 (入館は16:30まで)
■休館日:
 水曜日・祝日の翌日
 年末年始(12/29〜01/01)
■入館料:大人300円 小人100円(駿河湾深海生物館と共通)
〒410-3402 静岡県沼津市戸田2710-1
TEL.0558-94-2384
FAX.0558-94-2384
沼津市観光地図

2年の航海の果てに

プチャーチン プチャーチンの来航と安政の津波 嘉永5年(1852)、ニコライ一世の命を受けたプチャーチンは、
日本との国交交渉に望むべくロシアを出発しました。
大西洋を南下、喜望峰をまわって、
翌年に長崎に入港しますが、ここでの交渉ははかどりませんでした。
いったんロシア領の沿海州に向かい、さらに函館、大阪と移動し、
幕府から新たに交渉の場所として指示された下田に入港したのは、嘉永7年(1854)10月15日のことでした。
11月3日には、ようやく幕府側の代表である川路聖謨と第1回の交渉に臨むことができました。
しかしさらなる試練がプチャーチンを待っていました。
翌11月4日、安政の大地震が東海地方を襲い、
その津波によって下田港に停泊中のディアナ号は船底と舵を大きく破損してしまったのです。

双頭の鷲は富士を見たか

プチャーチン家の紋章 ディアナ号駿河湾に沈む 傷ついたディアナ号は戸田で修理されることになり、伊豆西海岸を北上しましたが、
強まった風と波のため戸田港には入ることができず、
現在の富士川河口近くまで流されていきました。
約五百名の乗組員は、地元漁民の助けもあって全員無事に上陸することができました。
ディアナ号は再び戸田に向け、
今度は地元の漁民が漕ぐ多数の小舟によって曳航されはじめました。
しかし再び西風が強まり、引き縄を外されたディアナ号は船首を天に向け、駿河湾に沈んでいったのです。
ディアナ号の船首にはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が飾られていました。
双頭の鷲は今、プチャーチン家を引き継ぐ子孫の紋章にもなっています。

技術が言葉の壁をこえる

日本初の洋式帆船ヘダ号の建造 船を失ったプチャーチン一行は、戸田でロシアヘ帰るための船を造ることになりました。
品川台場を築造した韮山代官江川英龍が建造取締役に指名され、
戸田では名主や廻船業を営む有力者が「造船御用達」に、そして船大工たちが「造船世話掛」に任じられました。
ディアナ号から運び出された「スクーナー型」といわれる帆船の設計図をもとに、
ロシアの技術者と近隣の村々からも加わった船大工たちは、
言葉や長さの単位の違いを乗り越え、わずか三ヶ月で100トンほどの帆船を造りあげました。
船大工たちのすぐれた技術と道具は作業の間中、ロシア人たちを驚かせていたといいます。
そして、これが日本で造られた初めての本格的な洋式帆船となりました。

集まり散じて

ヘダ号の模型 造船技術の系譜と戸田の船大工 無事に進水した船はプチャーチンによって「ヘダ号」と命名され、
一行はロシアに帰っていきました。
ヘダ号と同じタイプの船(君沢型)は、その年
さらに戸田で6隻が建造され、
幕府によって佐渡や函館に配備されました。
ヘダ号建造にかかわった船大工たちは、
長州藩(山口県)や田原藩(愛知県)などに招かれ、
各地で造船技術の普及と指導にあたりました。
江戸の石川島にあった水戸藩の造船所でも、
戸田の船大工によって君沢型の帆船が建造され、その後の石川島造船発展の基礎が築かれました。
戸田の船大工の一人、上田寅吉はその後、長崎伝習所に学び、
さらにオランダ留学を果たし、幕府が購入した開陽丸に乗艦して帰国します。
新政府では横須賀造船所の初代職長となり、日本海軍初期の軍艦を建造しています。

駿河湾深海生物館

駿河湾深海生物館 日本一深い湾である駿河湾は深海生物の宝庫です。
戸田では古くから
深海の魚類やタカアシガニの漁が盛んに行われてきました。
生物館には一般の水族館ではなかなか見ることのできない
深海魚や深海のカニの標本・剥製を約300種展示しています。

ラブカ 太古のサメの姿を伝える
「生きた化石」ラブカ

ミツクリエナガチョウチンアンコウ オスを腹部に寄生させた
ミツクリエナガチョウチンアンコウのメス
○内がオス

サケガシラ サケガシラ
体長2.9m 体重30kg

タカアシガニ 脚を広げると3m
世界最大のカニ タカアシガニ